空っぽだと気づいた時の絶望。

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底辺の独り言#31 三浦春馬が死んだ。

衝撃的だった。3つしか変わらない。

もちろん会ったことないし、テレビの中のスターだったし、ファンというほどでもない。

でも、かなりダメージを受けた。

同世代の彼は何を思い悩んで死んだのだろうか。

ほぼ見てきたテレビとかゲームとか漫画とか同じなはずだ。

日本は生活しやすいとよくいうけど、

本当なのか?この国はいわゆる僕らの世代は生きづらい気はする。

親からの価値観や誰が作ったかわからない常識に悩まされて、それを取っ払おうと努力をして成功を掴むと、今度は妬みやっかみに引き摺り回される。

親や周りが与える価値観と自分の価値観のズレに恐怖を覚えることもあるけど、

自分を信じて価値観を磨くしか自尊心は保てない。理解してもらえなければ仕方がない。価値観を磨き続けて光らせるしかない。

下手に光らせると眩しいと言われるのであかりを調整しつつ磨かなければいけない。

民主主義だとおおよその常識はある世代に偏ると僕は思う。有名税だとかそんだけお金もらってちやほやされてるからだ耐えろよとか言われたんだろうと思うが、そんなことを言う奴は新聞とワイドショーしか見ていない情報弱者だと思うのでまた黙っていていただきたい。ことSNSをやってると揚げ足を取ろうとする奴が露骨に見えてくる。真面目を装った壊れた人間たちがいる。これが厄介だ。春風ちゃんが裁判で勝ったけどこう言うのはもっとやって欲しい。ゼロになるわけじゃないけど抑止にはなる。この世はゼロ1ではなく、1になる奴をどれだけ防ぐかだ。

公人は確かに民が監視する必要がある。

例えば、本来なら民に還元されるべき税金が政治家や官僚の手によって懐に入れられているとしたら、それは追い詰めて罰するべきである。それが権力で蓋をされてるとしたら最悪だ。しかし、芸能人は違う。

彼らは公人ではないと僕は思う。いわゆる人気者だ。それを追い詰めるのは違う。 

これだけ人を追い詰めることができるのにこと政治や法律になると追い詰められない

てんでだめだ。

どうやら、批評と批判をわかってない人が多すぎる。クリエイターは作った作品を批評される。しかし、人格やその人を追い詰める批判は違う。SNSのおかげで国民全員が評論家になったわけだが、人を簡単にレビューしては絶対にいけない。

爆笑問題の太田光がこんなことを昔言ってた

彼は黒澤明が好きで大ファンだったんだけど、とある時期から黒澤明の映画の新作を見なくなったらしい。

黒澤が描いていた世界観と太田さんの描いていた黒澤明の世界観にズレが発生して

『こんなの黒澤じゃねぇや』って事でそれ以降新作を見なくなって違う映画監督や映画を観てたらしい。その後もう一度黒澤を見直して彼は気づく。

『俺があの時思っていた黒澤映画の価値観は完全に古かった、当時の黒澤を受け入れることができなかったのは俺は価値観や教養のようなものが追いついてなかった』

みたいな事を言ってた。

価値観は気づいて違うとわかるって事だ。 

とはいえ僕も価値観を押しつけないようにしないといけない。誰かがそれを愛してるから。僕も気をつけないといけない。

誰かの価値観を否定してしまうことはある。

気をつけなきゃいけない。

宇垣美里さんが『わたしにはわたしなりの地獄がある』って言ってた意味がわかった。

彼はどうだったのだろうか。誹謗中傷で追い詰められたのだろうか。それとも将来を悲観したのだろうか。

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